onsen-rider’s diary

失業するぞぅっ!

阪神淡路大震災の時の話をしようか

1986年に大学を卒業し最初に就職した会社は兵庫県尼崎市にあった。3年そこで勤めた後に地元の会社に転職した。そして6年後の1995年に阪神淡路大震災が発災した。
その日の朝、テレビは大阪地方で大きな地震が発生したと伝えた。その一報を聞いた後にいつもの様に6時過ぎに自家用車で家を出た。車のNHKラジオはずっと大阪の地震を伝えている。車を走らせているとニュースがどうやら死者が出たと伝えた。1時間くらいかかる会社に着いた時には死者は複数人になっていた。
この日は部下が空路で大阪伊丹空港経由での出張予定であった。
会社に着くと空港の部下から電話が掛かってきた。
「大阪地方大きな地震みたいですね?出張行って仕事になりますかね?飛行機は飛んでいるみたいですけど?」
俺は大阪営業に電話して状況を確認し折り返す旨を伝えた。
大阪営業は慌てた口調でまくし立てた。
伊丹空港は生きているけど、その先、神戸の方は目茶目茶ですわ!伊丹に降りてもそこから西には一歩もいけんです!」
「は?そんな状況なのか?」
他人事のような返事をして会社のテレビを点けると西宮辺りから神戸までの住宅地のあちらこちらから火が出て煙が上がっている映像が目に飛び込んだ。
「なんじゃこれは?」
ニュースは時間が経つにつれて死者数を加算し、映像は爆撃されたかのような倒壊したビルや燃え続ける住宅街を映していた。
空港に居る部下に電話をした。
「無理だ。関西方面は壊滅的な状況だ。今伊丹に飛んだら帰ってこられなくなる可能性もある」
転職しないで尼崎の会社に居たら被災していたのか。